麻疹と天然痘は、ともに紀元前から存在する感染症で症状が似ている点があり、混同して語られてきた歴史があるようです。天然痘の歴史は古く、エジプトのラムセス5世のミイラの顔に天然痘に罹ったことを示す跡があります。わが国には、6世紀半ばに大陸から入ってきたとされています。しかし、そのころの天然痘が現在認識されている天然痘と同じものなのか、また症状が似ている麻疹(麻疹も現在のものに比べると病原性がさらに強いものであったと考えられるらしい)だったのかは不明です。
麻疹の原因となっている麻疹ウイルスは、その遺伝子が一本鎖のマイナスセンスのRNAのパラミクソ科に属しています。よく似た遺伝子構造をしているウイルスとして、ウシのウイルス(牛疫Rinderpestウイルス)があります。このウシのウイルスが引き起こす「牛疫」は、ヒトが昔、牛を家畜化する過程でヒトに感染し得るウイルスに馴化されていって、ヒトへの感染力が高い、今日のような麻疹ウイルスへと進化していったと考えられます。この牛疫は獣医領域の感染症のなかで、天然痘のようにこの地球上から根絶された最初の感染症として有名です。
麻疹は、一般には「はしか」と呼ばれています。この語源は「はしかい」、すなわち「かゆい」に由来しているそうです。確かに、イネや麦の収穫時に穂先が当たった時に発する表現が「はしかい」でした。
「天然痘は見目定め(みめさだめ)、麻疹は命定め(いのちさだめ)」と、江戸時代に言われていました。天然痘も麻疹も、生まれて初めて感染するとほぼ30%程度の人が命を落としていましたが、ウイルスの増え方も激しいので、そのウイルスに対する免疫も極めて強く、生涯にわたって感染予防が可能なものが誘導されます。天然痘の感染から生き残った人は顔にあばたが残るので「見目定め」と言われ、麻疹は命を落とすが、天然痘のようなあばたを残さないことから「命定め」と言われました。 感染症は、藤原道長や紫式部の時代に猛威を振るっていましたが、その後の鎌倉時代から江戸時代にも麻疹はたびたび流行しました。現在でも同じですが成人になってから感染すると、子どものときに初感染する場合と違って重症化し、しばしば命を落とすことが多かったようです。5代将軍徳川綱吉も最高権力者の子供故一般民衆から隔離状態で育ち、年少期の数度の流行時に感染を免れたと思われ、成人麻疹が原因で64歳で亡くなっています。