天然痘と奈良の大仏建立

感染症歴史こぼれ話

天然痘は痘瘡(とうそう)とも呼ばれ、非常に感染力が強い天然痘ウイルスに感染することで発症する感染症です。致死率30%以上とも言われ、かつては世界中で多くの死者を出しています。イギリスの開業医エドワード・ジェンナーにより、1796年に開発されたワクチン(種痘:ウシの乳房にできた皮疹内の膿から得られた牛痘ウイルス)により、1980年5月、世界保健機関(WHO)は天然痘の世界根絶宣言を行いました。

この天然痘は、わが国においてもたびたび大流行を繰り返し、多くの死者を出しました。社会や政治面にも大きな影響を与えました。

歴史的背景

  • ラムセス5世: エジプトのラムセス5世のミイラは、天然痘に罹った跡が確認できる最古の患者とされています。
  • アリ・マオ・マーラン: 天然痘に罹った最後の患者として知られています。

日本への影響

  • 仏教伝来と天然痘: 日本には、6世紀半ばに大陸から仏教が伝来し、また天然痘も同じように大陸から入ってきたとされています。この頃の感染症については、「天然痘」なのか「麻疹(はしか)」(当時の麻疹は現在よりも症状が重く、死亡率も高かったと考えられている)なのかははっきりしていません。
  • 最初の流行: 日本で天然痘大流行が起こり、最初の大きな被害をもたらしたのは、735年に北九州(遣唐使船により大陸から持ち込まれた際のルート上の地域)で始まり、737年には平城京で大量の死者を出しました。この流行は、政権の中枢を担っていた藤原氏4兄弟の死を招き、政治的・社会的な大混乱を引き起こしました。

奈良の大仏建立

  • 743年の詔勅: 天然痘の大流行の後、743年に奈良東大寺の大仏建立の詔勅が出されました。当時はウイルスの存在が知られておらず、天然痘の原因もわからなかったため、人々は神仏に祈ること(まじない)で自分の命を守ろうとしました。
  • この大仏は、聖武天皇が仏教に救いを求めて実施した国家プロジェクトとして建立したものです。「仏教の最高神である毘盧舎那仏」を表現したものだそうですので、国家仏教の象徴としての大仏建造だったと考えられます。

摂関政治と天然痘

  • 995年の大流行: 摂関政治が隆盛期を迎えた995年にも天然痘が大流行し、藤原道隆とその弟の道兼が犠牲となりました。幸運にも感染を免れた、その下の弟の道長が実権を握り「栄華物語」が始まりました。
  • 源氏物語: この時代に書かれた「源氏物語」は、男女の愛を軸にしながらも、「もののあわれ」を強調しており、天然痘の大惨禍の記憶が背景にあるとされています。

このように、天然痘は日本の歴史に深い影響を与えてきました。

参考:人類と感染症の歴史  ―未知なる恐怖を超えてー(丸善出版)著作者 加藤茂孝 

第2章 天然痘の根絶――人類初の勝利(ラムセス5世からアリ・マオ・マーランまで)

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